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1 ナザレ
ナザレは天使ガブリエルがマリヤに受胎告知をした町である。(ルカ1:26~38)そしてイエス様が公生涯に入るまで育たれた町である。そのため、世界中から巡礼者がこの町にやって来る。町にはカトリックの受胎告知教会、聖ヨセフ教会、ギリシヤ正教会の聖ガブ
リエル教会、共同管理のシナゴーグ教会(ルカ4:16~)等の教会が建っている。受胎告知の出来事を思い起こしながら、イエス様の受肉、謙卑、そしてマリヤの献身を黙想したのであった。
ルカ1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」
2 ベツレヘム
ベツレヘムはエルサレムの南約10キロにある、標高726mの小高い丘の上にある。「ダビデの町」とも呼ばれ救い主がこの地に出現すると預言されていた。マリヤとヨセフは皇帝の勅令により人口調査のため先祖の町ベツレヘムに向かいここでイエス様はお生まれになった。その時、宿屋は満員で泊まる所もなくイエス様は飼い葉桶に寝かされた。その夜、天使のみ告げを受けた羊飼いたちは布にくるまって寝ている飼い葉桶のみどりご探し当てる。また星に導かれて東方の博士達はここに着き嬰児イエス様を礼拝した。この地に建っているのが聖誕教会である。聖誕の場所とされている洞窟は教会の地下にあり、銀で星の形がはめ込まれた祭壇があり、星には「ここにてイエス・キリストは生まれたまえり」と刻まれている。
ルカ2:1~20、ミカ5:2
3 ガリラヤ湖
南北20キロ、東西12キロのガリラヤ湖はイスラエル最大「の淡水湖である。海抜下200mのこの湖には“Peter‘s fish”「聖ペテロの魚」が住んでいる。イエス様の言葉に従ってペテロが釣りをしたところ魚が銀貨をくわえていたことからこの名前が付いた。12弟子のペテロやヨハネたちはガリラヤの漁師であったがイエス様の召命を受け、全てを捨てイエス様に従った。弟子たちはこのガリラヤ湖で船も沈みそうなほどの嵐にあったがイエス様の「黙れ、静まれ」との言葉で嵐が止む奇跡を経験した。「ガリラヤ湖の岸にてイェス君は昔 病の者を癒し 足萎歩ませ盲の目をば開き罪人を赦す 奇しき神の業を行い給えり・・・」聖歌536
4 山上の垂訓教会
山上の垂訓教会は高さ125メートルの山の上に建っている。八角形のとても美しい教会堂である。山から下を見下ろすとガリラヤ湖が一望できる。鳥の鳴き声も聞こえる美しいこののどかな所でイエス様は山上の説教をされたのである。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」「空の鳥を見なさい。」「あすのための心配は無用です。」「求めなさい。そうすれば与えられます。」といった有名な聖句や主の祈りが教えられた場所に建てられたのがこの山上の垂訓教会である。
5 エルサレム
詩篇122:6エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。」
エルサレムはユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒にとっての聖地である。旧市街の町全体が世界遺産となっており歴史そのものである。嘆きの壁、金のドームは有名であるがキリスト教徒にとってはイエス様が十字架を背負われて歩まれたヴィア・ドロローサは涙なしには歩めないような場所である。いつも世界各国から巡礼者が訪れる場所である。イエス様が十字架にかけられたという場所には聖墳墓教会が建てられており、イエス様が葬られ、蘇られた墓もそこにある。もちろんそこには遺体も遺骨もない。主はご自身預言された通り死を打ち破ってよみがえられたからである。ハレルヤ!
6 ゲッセマネの園
エルサレムのステパノ門(ライオン門)を出て進んでいくとすぐにオリーブ山に着く。オリーブ山のふもとにゲッセマネの園はある。ゲッセマネとは油絞りという意味で、ここでイエス様は血のような汗を流し祈られた(ルカ22:39~53)。園内の8本のオリーブの木は樹齢2000年を超えるとされる大きな木で、イエス様が祈られた時もそこにあった木である。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(ルカ22:42)とのイエス様の祈りを心に思いながら祈りの時を持った。園の隣には万国民の教会があり、祭壇の前の岩はイエス様が祈られた岩の一部であるとされている。
7 ヴィア・ドロローサ (マルコ14:53~15:47)
エルサレムに行った誰もが必ず訪れるのがヴィア・ドロローサです。ピラトの官邸で有罪判決を受けてから、イエス様が十字架を背負ってゴルゴタまで歩まれた道です。全長約1kmの道は昔も今も繁華街で大勢の民衆の目にさらされたことでしょう。聖書の記述に従って、裁判を受けた所、鞭打たれた所、倒れた所、シモンが十字架を負った所、服を剥ぎ取られ十字架に付けられた所、下ろされた所、葬られた所と計14の留(ステーション)があり、世界中からの巡礼者が主の受難を覚え、そこで賛美を捧げ、御言葉を読み、祈りを捧げます。この道をイエス様が私の救いために重い十字架を背負われたことを思い私も胸が熱くなりました。「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと」Ⅰコリント15:3
8 嘆きの壁 申命記30:1~3、マタイ24,1,2
エルサレムでもっとも有名な場所の一つが嘆きの壁(Western Wall)です。ここはかつてソロモンの神殿が立っていた場所にあり、その後バビロン捕囚より帰還した人々が再建し、ヘロデ王が改修した神殿ですが70年にローマによって破壊されました。その時残った外壁の一部が嘆きの壁です。神殿の崩壊後、ユダヤ人は年に1度許可されている来訪のたび、帰郷の夢を抱きつつここで祈るようになったのです。特に神殿崩壊の日には多くのユダヤ人がここに集まり、神殿の再建とメシアの来臨を断食しながら祈ります。また壁の隙間には紙切れが入れられていますがそれは人々の悲願を記したものです。1948年からはヨルダンの管理下になり、ユダヤ人はこの壁に近づくこともできなくなりましたが1967年6月7日の6日間戦争後は自由に祈ることができるようになりました。約1900年間の悲願が達成されたのです。申命記30:3 あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。