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最初の殉教者ステパノ」    使徒7:51~60  2016/1/7

 

ペンテコステ(使徒2章)、生まれつき足のきかない男の癒し(使徒3章)を通してたくさんの信者がエルサレムに生まれた。そしてやもめの毎日の配給についてギリシヤ語を使うユダヤ人たちからの苦情が出て、その解決のために教会に執事が選ばれた。そして使徒たちは御言葉と祈りに専することができし、弟子の数はさらに増えて行った。ステパノ(冠)はその最初の執事のひとりでした。

 

Ⅰ 御霊と知恵に満ちた評判の良い人ステパノ 6: 3,5,8

ステパノは御霊と知恵に満ち、評判の良い人であった。また信仰に満ちた人であり、恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた。議会に立った時の彼は御使いの顔のように見えた。6:16 

 信仰者として彼に学ぶ点は多い。ここに倣うべきたくさんの模範がある。私たちは自分の信仰を点検したい。彼は御霊に満ちた人でした。それはイエス様のご支配であり、み言葉の支配にあることです。イエス様がその人の心の王座について支配し自我は退いている状態です。その時に会い、喜び、寛容と言った御霊の実を結びます。

 

Ⅱ 御言葉の人ステパノ

 

 ステパノが神殿と律法を否定したと言う偽りの告発に対し、彼は聖書から反論しました。 宗教指導者たちこそ神が遣わされた預言者を殺した子孫であり、預言者が指し示したメシヤ・キリストを殺したのだと彼らに厳しく悔い改めを迫るのでした。

 

7:51 かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。

7:52 あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。

7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」

 

7章の議会での彼の説教は見事な旧約理解が示されています。イスラエルの祖アブラハムから説きおこし・・・ヨセフ、モーセ、ダビデ、ソロモン。個人用の聖書もない時代にこのような見事な説教をすることが出来た彼は御言葉の人でした。

 

Ⅲ ステパノの殉教 54~58節

 

 ステパノの雄々しい殉教。彼はそのような状況で天を見つめ神の栄光とイエス様を見た。彼の素晴らしい執り成しの祈り。なぜ聖霊に満たされた彼がここでこのような形で死ななければならなかったのか?なぜこのような素晴らしい信仰の人がこのように死ななければならなかったのか?生きていれば主のためにたくさん働いたのではないか?主は彼を見捨てたのか?救う力がなかったのか?主はこの時、何をしておられたのか?

 困難な状況で御霊により目が開かれ天上のイエス様を見たステパノ。主はステパノを見捨てたのではない。天の栄光を見させ、彼のために立っておられるイエス様を見させた。

 迫害者のために御霊によって祈るステパノ「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。 ステパノは十字架上の祈りを聞いたのかも。聖霊は人の力を越えた愛の祈りをさせる。生まれつきの人の祈れる祈りではない。彼の祈りを聞いた人々は何を感じた?そこにいたサウロ58

 散らされた人々の宣教(サマリヤ、エチオピア)それまではエルサレム以外では福音を伝えることをしていなかった。使徒1:8 しかし、散らされた人々は行った先で御言葉を伝えた。8章にはピリポによるサマリヤのリバイバルとエチオピアの宦官の救いが記されている。

ステパノの殉教は使徒パウロの誕生へと道を開いた。9章においてサウロの救いへと続く。大使徒パウロの誕生。ステパノの祈りはサウロの心に大きな衝撃を与えた。それを打ち消そうとするかのようにクリスチャンを迫害。自分は正しい、神に忠実だと心に言い聞かせるかのように・・・。しかし、ついに迫害者サウロは復活のキリストに出会い回心。9:3~ステパノの殉教は決して無意味ではなかった。彼は神からの使命を果たし終えた。その結果、宣教の拡大があった。「殉教者の血は教会の種」なのです。彼の死を神はむだにはなさらなかったのです。

 

祈り:主イエス様、私も御霊と知恵に満ちた人となり神様の栄光を現すことができますように導いてください。私に与えられた道を歩むことができますように。アーメン

 

「最初の殉教者ステパノ

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