義の器として神にささげて生きる ローマ6:12~23 2016/2/3

 

ローマ人への手紙はパウロの最大の神学論文。そこにはただ恵みのみ、信仰のみという宗教改革の原則がはっきり記されている。ルターもウエスレイもこの書で大きな恵みを得、救いの確信を得た。この6章ではバプテスマについての教えとバプテスマを受けたクリスチャンの生活について教えている。バプテスマはキリストの死と復活と結ばれることである。主を信じバプテスマを受ける者は律法から解放ている。

 

1 キリストにある新しい歩み(もう罪にささげて生きてはならない)

 

6:12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。

6:13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。

 

クリスチャンは罪の奴隷の身分から解放され,新しい主人・キリストの奴隷とされたものである。その体も,情欲も〈罪の支配にゆだね〉ることは許されない。クリスチャンは尊い代価を払って買い取られた存在。義の器として神にささげて生きる者である。私たちは神のものである。Ⅰコリント6:19,20

 

義の器として神にささげて生きる 6:13、17~19

6:13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。

 

クリスチャンは体を神にささげて生きる。今は自分ではなく、神が主。神様が支配される。それは義の器、神の器。聖霊の実を結ぶものとなる。神にすべての鍵を渡し、管理していただくのである。その時、 神は、私たちのために、豊かな実りあるクリスチャン生活を用意してくださる。豊かな命であり、豊かな実であり、聖霊の実を結ぶ生活である。それにはいつもキリストを心の王座についていただく生き方である。イエス様ならどうされるかを考え、実行することである。

 

Ⅱ キリストにある永遠の命 6:22,23

 

6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。

6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

 

永遠の命は神様の賜物であり報酬ではない。それは神の恵みによって与えられるものである。私たちが主キリスト・イエスを信じる時に与えられるものである。永遠の命は高価で誰もその代価を支払うことができない。ただ信仰によって受けることである。

祈り:天の父なる神様。私が主の恵みにより救われた者として義の器としてあなたにささげて生きます。家庭、仕事、学校においてあなたの栄光を現す者として歩めるように助けてください。どのようにしてあなたの栄光を現せるか教えてください。アーメン

 

「義の器としてささげて生きる