「私たちはキリストの体の器官」 Ⅰコリント12:12~27 2016/2/25

 

私たちは聖霊によりイエス様を信じる者とされ、一人一人が御心により御霊の賜物を頂いている。それは自分のためではなく、皆の益になるために与えられたものである。パウロは私たちの中で誰一人として自分のために生きている者はないという。(ローマ14:7,8)

 

Ⅰ 教会はキリストの体 27節

12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

 

「教会」は会堂、建物ではなく「神によって呼び集められた者の群れ」です。それを聖書はキリストの体と表現。そして、体のどの部分も同じ遺伝子DNAがある。共通のもの、それは聖霊の証印。すべてのクリスチャンのうちにキリスト様が住んでおられる。体の中にいろんな器官があっても一つの体を作っている。一人一人が一つのキリストの体に所属している。GICCに属する一人ひとりがキリストの体の部分である。またどの教会も一つのキリストの体に属している。共通の目的:神の栄光 各教会は決して競争したり、戦う相手ではない。

* 教会のかしらはキリスト エペソ1:22、23 4:12~16

神の教会においてはかしらであるキリストが全てを治め、導かれる。教会のかしらはキリスト(牧師でも長老、執事でもない。いつも祈りながらかしらであるイエス様の御心を求めて進んでいく)キリストの体である教会はかしらなるキリストの御心を聖書の御言葉を通して求め、また祈りによって確かめ従っていく。

 

Ⅱ ひとりひとりは器官 14~24、27節 エペソ4:16

12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

 

教会には共通性と相違があります。多様性と一致があります。体の器官には違いがある。実はそれが実は重要なのです。14,19,20節

器官の相互依存性 15~18、21節

私達は互いを必要とする! どんな器官も身体から離れては生きることができない。キリストの体を構成している他のクリスチャンから離れて生きることはできない。(人がひとりでいるのは良くない!罪のないエデンの園においてさえ)その器官がないなら体として不完全。あなたがいなければならない。教会において不必要な人はひとりもいない。

 器官相互に価値の上下関係はない ひとりひとりがみな尊い存在 22~24節

 

Ⅲ 器官は共に苦しみ、共に喜ぶ 25,26節

12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。

12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。

 

* 体は一つの命です。共に苦しみ、共に喜ぶものです。どこかの部分が苦しむとき、かしらであるキリストがそのことを感じます。喜びも同じです。健康な体は自然に共感します。理屈ではありません。

 

祈り:天の父なる神様。あなたの尊い体の器官とされていることを感謝します。あなたの栄光のために私にできる働きをさせてください。そして共に喜び共に苦しむ者とさせてください。アーメン

 

 

「私たちはキリストの体の器官