神は我らの避けどころ 詩篇46篇  2015/09/10

 

この詩篇からルターは有名な賛美歌を作った(『讃美歌』267番,『聖歌』233番).背景としては前701年のセナケリブによるエルサレム包囲とそれからの奇蹟的解放が考えられる(Ⅱ列18:13以下,19章イザ36章以下).

19:35 その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。

19:36 アッシリヤの王セナケリブは立ち去り、帰ってニネベに住んだ。

 

主題は,神が共におられることこそ平和と安全の保障であり確信であるということ

 

Ⅰ 神こそが我らの避けどころ 1~3

 

46:1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。

46:2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。

46:3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。

1節は神への信頼の表明.最近の出来事を通して体験された神の助けを告白している.〈そこにある助け〉とは困難の中で容易に見出される助けのことで,ほかのところに助けを求める必要はないこと(参照イザ30:2‐3)2‐3節はイスラエルを選び出された神が万物の創造者であり支配者であるという信仰の表明と,そのような神に信頼する者に動揺はないという告白である。私たちが揺り動かされず、堅く立つためには神様をじっと見ることが必要です。イエス様から目を離し、環境だけを見るなら私たちは不安に襲われるのです。

 

Ⅱ 神様の守りと救い 4~6

 

46:4 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。

46:5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。

46:6 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。

 

* アッシリヤの王セナケリブよりの奇跡的な救い。神の都エルサレムに主がおられる。そして御力をもって敵から救われる。敵の大軍の攻撃、脅し、そしり。味方は多勢に無勢。実際に敵は国々を征服してきた。そのような中で主は預言者イザヤを通して励まし、御使いをもって救われた。あなたは主の守りの中にある。

 

Ⅲ 神は我らと共におられる 7~11

 

46:7 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ

 

〈ヤコブの神はわれらのとりで〉とは,ヤコブを苦難の中で守り救い出して下さった神が共におられるというインマヌエル信仰(イザ7:14)と確信が,動揺から免れさせたとの告白。〈とりで〉とは「高く上げる」(20:1)から出た言葉で,信仰者は神によって安全な高みに上げられる。主が共におられるこれ以上確かな守りはない。

 

ジョン・ウエスレイの臨終のことば。「すべての良きこのことの中で、最も良きことは神が我らと共におられることである。」

 

祈り:神様。あなたはわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助けです。あなたがどんな時でも私と共にいてくださることを感謝します。

「神はわれらの避けどころ