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力と愛と慎みの霊 Ⅱテモテ1:7 2015 /7/30
Ⅱテモテ1:7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
パウロは弱っていたテモテを励まそうと手紙を書きました。力は神に対する奉仕に関係し、愛は人に向かう態度に関係し、慎みは自分を保つ心がけに関係するものです。
1 神様が与えてくれる聖霊の力
神は臆病の〈臆する,気の弱い、すくんでしまう、恐れる〉霊を与えられたのではなく力の霊を与えてくださいました。イエス様を信じ受け入れると聖霊が来て心に住んでくださり助け、慰め、導いてくださいます。このお方を遠くに求めるのではなく、クリスチャンならこの方を認め、歓迎し、人格的なお交わりをするのです。神はデユナミス(爆発的な力)を持って臆病な者を大胆な者にすることができるのです。それは問題に打ち勝つ力です。また愛し、赦す力です。そして罪と誘惑、サタンに打ち勝つ力です。また証しの力です。
Ⅱ 神様が下さる愛の御霊
愛のない力は危険です。火薬は人の役にも立つが、使い方によっては人を殺します。力があっても愛がないなら破壊的です。神が与えられた聖霊は力だけでなく愛のみ霊です。それはすべての人への愛―正しい人にも正しくない人にも太陽を昇らせ、雨を降らせる神―。かたよりがない愛です。また無条件の愛であり(ローマ5:8)命をも与える愛です。(ヨハネ15:13)それはⅠコリント13章4~8節に示されたイエス様の姿です。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。」
Ⅲ 神様が下さる慎みの霊
慎みとは落ち着きのある均衡のとれた心。制御心。自制。自己節制。セルフコントロール、サウンドマインドです。信仰にもサウンドマインドが必要です。非常識が信仰ではありません。御霊を受ける時、サウンドマインド、健全な心が与えられるのです。聖霊はセルフコントロールをも与えられます。慎みのない力は破壊的、慎みのない愛も人を堕落させます。単なる甘やかしでは子供をも駄目にしてしまうということはよく言われることです。慎みの霊に導かれた愛は人を建てあげるのです。
イエス様の弟子たちへの態度を見ると本当に弟子たちに必要なものを与えるために訓練されたことがわかります。自分がよく思われることではなく、本当に相手のことを思って。自分が去っていった後のことまで配慮されたのです。周りの環境や、人の評価から自由にされてすべてを見ておられる神のみ前で本当に良い正しいこと、神様が喜ばれることを選び取れるようにいのります。
私たちの生活には神が約束された聖霊の力があるか。御霊の愛があるか。神のアガペーの愛を人々に表わしているか。自制の霊、神の喜ばれる正しいことをいつも選び取っているか。もっと力と愛と慎みの霊に満たされるように祈ろう。
祈り:神様、私にもパウロに与えられた力と愛と慎みの霊で満たしてください。アーメン