とりなしの祈りと生活についての教え Ⅱテサロニケ3章 2015/7/23

 

キリスト教の中心的な教えにイエス・キリストの十字架と復活、再臨があります。テサロニケの教会では主の再臨が明日にでもあるかもしれないと言って仕事も辞めてしまう者もいたほどです。パウロは彼らに主の再臨について正しく教え正しています。

 

Ⅰ とりなしの祈りの要請(3:1‐5)

3:1 終わりに、兄弟たちよ。私たちのために祈ってください。主のみことばが、あなたがたのところでと同じように早く広まり、またあがめられますように。

3:2 また、私たちが、ひねくれた悪人どもの手から救い出されますように。すべての人が信仰を持っているのではないからです。

この手紙を終えるにあたり、パウロはテサロニケの教会の人々に祈りを要請しています。

彼らのために祈ったパウロは,今度は自分たちのために祈ってほしいと願います。彼は特に2つのことを祈ってほしいと願います。第1は,〈主のみことばが……早く広まり,またあがめられ〉(1)るように,ということです。第2に,福音がしばしば不信者の激しい反対に直面する現実を知っている彼は,自分と同労者たちの身の安全のために祈ってほしいと願います。伝道者のために祈ることは,取りも直さず福音の伸展のために祈ることと同じです。宣教の前進と守り、パウロはそれが祈りにかかっていると信じていました。そしてテサロニケの人々の祈りが助けになると信じていたのです。

 

Ⅱ 信仰と生活への指示(3:6‐15)

3:6 兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をして私たちから受けた言い伝えに従わないでいる、すべての兄弟たちから離れていなさい。

3:7 どのように私たちを見ならうべきかは、あなたがた自身が知っているのです。あなたがたのところで、私たちは締まりのないことはしなかったし、

 パウロは彼らに,〈締まりのない歩み方をして〉(6)いる者との交際から離れるようにと命じます。朱に交われば赤くなると言います。悪い者と歩みを共にするとその悪い影響を受けます。怠惰な生活をすることによってまじめに働く人々を利用している一部の人がいました。こうした生活態度は,使徒たちから受けた言い伝えに反するものです。パウロはそのような生活態度を戒めたのです。この時,彼が念頭に置いていたのは,キリストの再臨が間近いと主張して日々の仕事を放棄していた人々であって,仕事をしたくても失業しているような人々を批判したものではありません。パウロは信者の模範になる生活を心がけました。私たちはキリストの看板を背負っていることをいつも意識して生活しましょう。労働は私達に与えられた神聖な神への奉仕です。私たちはたゆまず善を行うことによって主のみ名を崇めましょう。

 

Ⅲ 終りのあいさつ(3:16‐18)

3:16 どうか、平和の主ご自身が、どんなばあいにも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。

3:17 パウロが自分の手であいさつを書きます。これは私のどの手紙にもあるしるしです。これが私の手紙の書き方です。

3:18 どうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。

 パウロは祈りをもってこの手紙を閉じます。ここで特に2つのことを述べます。まず,神が〈平和を与えてくださ〉るようにということ。〈平和〉は,戦いのないことを意味するが,その背後には〈ヘ〉シャーロームすなわち健康,救いなどの意味です。平和の主のみが〈どんなばあいにも,いつも〉神の子らに平和を与えることがお出来になるのです。

 次に,主が彼ら〈すべてと,ともにおられ〉るようにということ.この別れの祈りは祝祷の形をとっています(〈どんな〉〈いつも〉〈すべて〉),違反者さえもその祈りと祝祷のうちに含めるパウロの配慮を見ることが出来ます。平和と主が共にいてくださること。この二つは信者にとり必要不可欠なもの。そして、主イエス・キリストの恵みがなければ私たちは生きていけません。

 

祈り:神様、私が宣教と伝道者のために祈ることにより主の働きに参画することができますように。生活に信仰を生かしていくことができますように。アーメン

とりなしの祈りと生活のいついての教え