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わが恵み汝に足れり Ⅱコリント12:9、10 2015/6/25
パウロは第三の天に昇るという神秘体験をします。しかし、彼は人が彼を過大評価することのないように三人称でその経験を述べます。しかし、彼には悩みがありました。それが取り去られるように三度も祈りました。しかし、それは取り去られませんでした。それは肉体のとげでした。その時主から語られたのが「わたしの恵みは、あなたに十分である。」という言葉である。
恵みはキリスト教の真髄。(CSルイス) 恵みがなければキリスト教ではありません。また恵みを知るということは恵みを体験することです。
Ⅰ 主イエス様の恵み は十分 9節
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。Ⅱコリント12:9
神様の恵み、それは値しない者に与えられる神様の愛です。神様の恵みから漏れる人はひとりもいないのです。肉体のとげにもかかわらずパウロにとって神の恵みは十分でした。同様に誰にとっても神の恵みは十分なのです。ただ大切な霊的な原則があります。それは神様は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるということです。自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされるのです。
Ⅱ 弱さのうちに完全に現わされる神の力 9,10節
神の力は人の弱さのうちに完全に現されます。人の弱さは神の働きの妨げとならなりません。私たちはあれこれとできない言い訳をし、不平を言いがちです。しかし、それらの弱さは神様にとって何の問題にもならないのです。ウロの肉体のとげ、そのことについて詳しくは書かれていません。しかし、この苦しみさえなければもっと神のために働けるのにと思ったことでしょう。聖霊に満たされた使徒、第三の天にまで上ることを許されたパウロの切なる祈りでした。しかし、パウロの願うようには叶えられなかったのです。それはキリストの無限の力が彼を覆うためであったのです。どのような状況のどのような人に対しても主の恵みはいつも十分です。人の弱さによって神の力が制限されることはありません。かえって神の栄光が現わされるのです!自分の弱さだけに目を留めるのではなく、十分なる主の恵みに目を留めて生きる者とされましょう。
Ⅲ キリストの力が私をおおうために 9.10節
自分が弱ければ弱いほど神様に頼ります。そこに神様の力が働くのです。結果として弱い時にこそ強いといえるようになるのです。全能者である神様を信じ、この方と直結して生きていくとき(信仰の世界では)もはや私たちが弱いとか強いとか言うことは問題にならなくなってくるのです。私達の神様がどんな方かということこそが問題なのです。背伸びをしないで、自分の弱さを正直に主に告白しましょう。そして主に働いていただくのです。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。ピリピ4:13
祈り:神様、パウロの肉体のとげにもかかわらずあなたは彼を大いに用いてくださいました。神様の力が彼を覆うためにパウロが自分の弱さを誇ったように、私も自分の弱さを悟り、神様の力により頼み、キリストの力に覆われて神様の栄光を現すものとならせてください。弱さを決してできないことの言い訳にしないようにさせてください。アーメン、