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エステル記に見る主の御手 エステル4:1~17 2015/6/11
序)神の名が一度も出てこないエステル記。しかし、そこには確かな神の御手が現されている。BC587のエルサレム崩壊、そしてバビロン捕囚。ユダ王国を滅ぼしたバビロンを滅ぼしたペルシヤのクロス王の勅令(BC539)。しかし、大部分はペリシヤに残留。なかにはエズラやネヘミヤ、モルデカイのようにペルシヤ帝国で高い地位に就く者もいた。エステル記の事件はアハシュエロス王(BC486~465)の時代に起こった。
Ⅰ 摂理の神様
「もしも」王が宴会を開かなかったなら、王妃ワシュティが王に従って宴会に来たなら、エステルが王妃に選ばれなかったなら、モルデカイが王の暗殺計画を知らなかったなら、モルデカイに恩賞が与えられていたら、年代記を王が読まなければ(その夜王は眠れなかった)そのひとつひとつが神の摂理によって導かれていた。
主は御手を持って私達の生活すべてを導かれる。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8:28
Ⅱ 神様の守り
すると、彼の知恵のある者たちと、妻ゼレシュは彼に言った。「あなたはモルデカイに負けかけておいでですが、このモルデカイが、ユダヤ民族のひとりであるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。きっと、あなたは彼に負けるでしょう。」6:13
ユダヤ民族であるということは、全能の神が共にいてくださるということ。出エジプトの時には昼は雲の柱、夜は火の柱として共におられた。わしがひなを翼に乗せて運ぶように彼らを運ばれた。また御自身のひとみのように守られた。
クリスチャンは新約のイスラエルである。 主が共にいて私たちを守られる。
「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」ローマ8:31
* 不安を覚えるような状況の中でも主の守りを信頼し、問題解決のために全力を上げよ。ハマンのユダヤ人殺害の計画を知った時、モルデカイはエステルに知らせ、彼らは断食の祈りをし、知恵ある計画を立て、自分の死を覚悟してユダヤ民族のために王に近づいた。・・・座して死を待つのではなかった。
Ⅲ ひとりひとりに与えられている使命
4:14「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
4:16「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」
わたしたちは偶然、今の立場にいるのではない。エステルが神の摂理の中で、自分の意志をもってそれに応答することによって神の業は進められていった。
* すべては神からの預かり物である。健康、能力、財産・・・。神より与えられなかったものはあるか?それらをもって神様のご期待にこたえよう。神様から与えられた自分の人生を生きよ。神様から与えられた自分の使命を生きよ。クリスチャンは、死を覚悟してでも、神の召命に応えなければならない時がある。 日常生活のなかで自分にゆだねられた(それが大きかろうと小さかろうと)神の業に励もう。それは私に期待されたものである。
祈り:神様、あなたが守ってくださることを感謝します。日常の何気ないところにもあなたの御手を見て、あなたの御業に仕える者とならせてください。