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「主にとどまれ」 ヨハネ15:5 2015年4月9日
豊かな実を結ぶ秘訣は絶えずまことのぶどうの木であるイエス様にとどまり続けることです。
15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ここには信者とイエス様との命の関係、一体性があらわされています。イエス様とクリスチャンの特別な関係が書かれています。イエス様が私たちにまず求めておられることは何よりも主との愛の関係です。ある人々が誤解しているようにイエス様のために何かをすることではありません。その前にイエス様は私たちが、枝が木にとどまっているようにぶどうの木であるイエス様にいつもとどまっているように願っておられるのです。そして絶えず主ご自身から必要な力を受けて、多くの実(悔い改めの実、御霊の実、救霊の実)を結ぶように求めておられるのです。
イエス様にとどまるとはいつもイエス様から必要な力を頂くことです。自分の力で頑張るのではありません。イエス様から力を頂く具体的な恵みの手段は ①聖書を読む②祈る③教会に行く④証しをすることです。
① イエス様にとどまることはみことばにとどまることです。詩篇1:1~
主と会った後にモーセの顔は輝きました。主と共に歩む時に神の栄光があらわれ周りが気づくのです。どうすればそのように輝けるのか? それはデボーションです。毎日の神との会見。御言葉に優先順位を置きましょう。私たちは大切なことには時間を使います。少なくとも毎日15分、30分神にお会いし、御言葉に聞き、神に語る時を持つことです。神と親しく歩むためには時間を取り分けることが必要です。神に聞き、神に語る。それをやめれば輝きはなくなります。主と共に多くの時を過ごす時、主は父なる神様からの奥義を語りかけてくださいます。
② イエス様にとどまるとは祈ること
祈りは天の父への呼びかけで始まり、終わりはイエス様の御名で閉じます。間は自由です。
イエス様を信じると皆、神様の子となり、誰でも直接天の父に祈ることができるのです。
(誰かを通してではありません。)
ヨハネ16:24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
③ イエス様にとどまるとはイエス様の体なる教会の交わりにとどまることです。
へブル10:24、25
―1本の薪はすぐ風で消えるがたくさんの薪はなかなか消えません。どんなことがあってもイエス様の体である教会の交わりから離れないように。
イエス様にとどまるとは礼拝を重んじること。十字架の愛と赦しを経験したクリスチャンにとって時間をささげて神様を礼拝する以上に大切なことが何かありますか?神様は主の民と共に礼拝をささげること以上に、何かをすることをあなたに求めているでしょうか?教会の交わりから離れるなら魂は弱っていきます。力を失っていくし、実も結べないでしょう。
Ⅰコリント12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
体を離れては器官は生きられません。それと同様にイエス様を信じるクリスチャンもイエス様の体である教会を離れては神様が与えようとしている神様の命を生きることは出来ません。
④ イエス様にとどまるとはイエス様の言葉に従うこと、イエス様を証しすることです。
ヨハネ20:21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
すべてのクリスチャンは小さくても家庭に学校に会社に地域にイエス様によって遣わされた宣教師です。イエス様は神様の救いを伝える任務を私たちに与えられました。主を愛するものは主のことばを守ります。主の弟子として主の御言葉に従い、主の模範に倣い愛すること、与えること、仕えることを求めてまいりましょう。
* constant conscious communion with Christ!
祈り:主よ。私がいつもイエス様にとどまり、イエス様の愛にとどまり、イエス様の御言葉にとどまり、主の栄光のために豊かな実を結ぶ者とならせてください。アーメン