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「神の前に富む者となる」 ルカ12:13~21 2015年3月12日
この金持ちが愚か者と言われたのはなぜか?自分のためにだけ生き、神の前に富まなかった。決して不正なことをして稼いだわけではない。しかし、そのすべてが神から来ていることを認めず、自分のためにしか生きてこなかった。その時も助けを必要とする人がいただろうし、あわれみを必要とする人がいた。しかし、その力がありながら何もしなかった。①すべての物は主のもの。主から来ている。すべては預かりもの。②主の御心に従って管理するように委ねられている。所有者である、管理を委ねてくださった方の意志に従い管理しなければならない。③お返しすべき時が必ず来る。神の前に立つ時が来る。
Ⅰ 神様の祝福
ヤコブ1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
豊作自体は神の祝福です。すべての祝福は神から来るのです。
群衆の中のひとりが〈兄弟〉同士の遺産相続争いの解決をイエス様に依頼しました(13)。しかし、イエス様は依頼を断ります。そうした争いの根源に横たわる〈貪欲〉(15)こそが問題だからです。話の対象は〈彼〉(14)から弟子たちをも含む〈人々[彼ら]〉(15,16)へと一般化されて行きます。〈貪欲〉は,語源「もっと多く持つ」が示すように,飽くことなき欲望(コロ3:5「むさぼり」等)です。
1テモテ6:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。
Ⅱ 正しく管理する
全てのものは主のもの 私たちは所有者ではなく管理者です。愚かな金持ちは地上のことだけしか考えていません。神の前に富まないとは神様を計算に入れていないこと。神に感謝もなし!物で安心、食べて、飲んで、楽しめと言う人生観!それが問題
貪欲、むさぼりに注意 「自分の」「私の・・・」「作物、蔵、穀物、財産・・・」世界の中心は私ではなく神です。すべては神から期間限定で管理を委ねられたもの。財産も命も究極的には神のもの!そして返すべき時が来る!20節 その神を計算にしない人生はたとえ自分の計算通りに多くのものを蓄え、高い地位を得たとしても神の前に空しく無益です。
彼には豊作をもたらした神への感謝は皆無。彼の「心」(34)に神は存在しないのです。
大切なのは与えられたものをどう用いるか?無駄に使うこともできるし、害になる使い方もできる。また人々のため、神の栄光のためにも使える!
Ⅲ 人生のゴール(ゴールから今を考える生き方が大切)
12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
12:21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」
20 神なき金持に〈愚か者〉(参照11:40)との神の声が響く.〈今夜……取り去られる〉は突如訪れる死の宣告.神の声は金持の「私の」の連発を皮肉るように,〈おまえ〉〈おまえの〉の連続である.〈おまえのたましい〉〈おまえ[のうち]から〉〈おまえが用意した物〉と.そして〈いったいだれのものになるのか〉と問いかける(比較:伝2:18‐23).金持が「私のもの」と言っていたものは本当は「誰のもの」なのか.富も命も究極的には「神のもの」であり(Ⅰコリ4:7),その神を認めようとしない人が〈愚か者〉(参照詩14:1)である
この金持ちは人間的に見たら成功者かもしれない。しかし、神の目からは愚か者です。
クリスチャンの召天は勝利の人生です。彼らは全世界の富に勝るものを手に入れた人々です。「お前の魂は今夜お前から取り去られる。」死によってすべては終わる。何も持っていけない!食べて、飲んで、楽しみはできなくなる。私たちは神の主権を認めなければなりません。私たちは管理者なのです。主人である神から預かっている。財、時、能力、家族・・・・何一つ持っていけない。預かったものの用い方に責任があるのです。
祈り:天の父なる神様。すべての物はあなたからの預かり物です。あなたの御心に従って勤勉に管理する者になれるように助けてください。アーメン