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ヤベツの祈り Ⅰ歴代4:9,10 2015年3月26日

多くの人は逆境にだけ目を留めて、そこに隠されている神の助けを見落としてしまうのです。神の助けに見向きもしないで、不平不満やあきらめの中に人生を送るのです。しかし、ある人は、神の助けを求めて逆境を乗り越えていきます。神は私たちの苦しみを黙って見過ごすことができないお方、あわれみ深いお方です。私たちが神の助けを求めて手を差し出す時、神も私たちに手をさしのべてくださるのです。まことの神様を信じて祈る時、運命に打ち勝たせる力、逆境を乗り越えさせる力が与えられるのです。

Ⅰ ヤベツの祈り 

4:10 ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」

ヤベツの祈った内容① 私を大いに祝福してください。②地堺を広げてください。③ 御手が私と共にありますように。④災い、苦しみから遠ざけてください。

 ヤベツは「私の地境を広げてください」と祈りましたが、私たちも、同じように「私の地堺を広げてください」と祈ることができるのです。神様はそのような祈りを聞かれたました。私にもそうしてくださると信じてよい。後ろめたさを感じる必要はない。それは力強い証しとなる。神様は世界がご自身を知るようになるのを望んでおられるのです。

 ヤベツの生きた時代は、イスラエルの十二部族に約束の土地が分割されたころでした。ヨシュアが大まかな割り当てを決めましたが、それは地図の上でのことであって、実際に土地を自分のものにするには、そこに住んでいる先住民と戦い、町を建て、畑を耕さなければならなかったのです。ヤベツは、苦しみの中にあった自分の家族のために、また将来のために「私の地境を広げてください」と祈りました。

ヤベツの祈りに見られることは神様への信頼です。ヤベツはまた祈っています。「御手が私とともにありますように!」と。「神の手」ということばは、聖書では「神の力」と「神の祝福」を表わすのに使われています。ヤベツは「地境を広げてください」と祈りましたがそのためにはもちろん彼自身の努力が必要でした。しかし、ヤベツは、自分の努力だけでそれが達成できないことを良く知っていました。神の御手、つまり神の力、神の祝福が必要なことを良く知っていました。祈りは、神の力に信頼し、神の祝福を受ける第一歩なのです。

神様に何かを祈り求める時、私達は何も失うものはありません。最悪の結果は「だめ」と答えられるだけです。祈って与えられた祝福は、そのように祈らなければ与えられなかったかもしれないもの。人生を終わろうとする時に祈り求めなかったので逃してしまった祝福を思って後悔するよりは、神に祝福を求めすぎて「だめ」といわれた人生のほうが良いではありませんか。

 

Ⅱ 神様は彼の願いを聞かれた

 

4:10 ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。

 

神様はヤベツのこのような祈りを聞かれた。だから私達もこのように祈ってよい!神様をこのようなお方として個人的に知っているのか?

 

ヤベツは、不孝な境遇に生まれ育ちながらも、自分の状態に絶望することなく、返ってイスラエルの神に望みを置き、期待をもって祝福を願い求めた。それゆえに神は、その願いを聞き入れ、彼に大きな祝福を与えられた。現代を生きる私たちも、まさにこのヤベツのように、自分の生活の祝福、領域の拡大、神の守り、苦しみからの解放等について神に願い求め、それをいただくように励まされており、神がそれを望んでいらっしゃるのです。

 

祈り:父なる神様、あなたは、ヤベツの「痛み、苦しみ、悲しみ」を祝福に変えてくださいました。私たちも今、ヤベツと同じ信仰をもって祈ります。私たちの地境を広げ、常にあなたの力と祝福の御手を生活の中で見て喜ぶものとしてください。私たちの祝福の源であるイエス・キリストの御名で祈ります。

ヤベツの祈り

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