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イエス様に祈りを聞かれた女 マタイ15:21~28 2015年1月29日
1月25日礼拝では「求めなさい」と題してマタイ7:7~11から学びました。「求めなさい。捜しなさい。たたきなさい。」というのは神様の継続的な命令です。そして求め続ける者に「与えられる。見つかる。開かれる」との約束が与えられています。本日の個所のカナン人の女はこのような祈りの良い模範
Ⅰ とりなしの祈りはまず自分の無力を知ることから始まる。21~23節
カナン人の女は自分の無力を悟り、主に求めました。22節。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」「娘を憐れんでください」ではなく「私を憐れんでください」という叫び。それは母ならわかる叫びです。娘の苦しみは母の苦しみです。悪霊に憑かれて苦しんでいる娘に対してなすすべもないカナン人の女。おそらくありとあらゆる良いと思われることを試したことでしょう。しかし、愛する娘は悪霊に取りつかれ苦しんでいる。そこで悪霊を追い出す力を持っているとうわさに聞いていたイエス様が来られたと聞き、主イエス様にあわれみを求めたのです。叫びながら主について行ったのです。
Ⅱ 祈りの障害 23~26節
祈り求めるのを諦めたくなるような障害がある。
15:23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです。」と言ってイエスに願った。
15:24 しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。
15:25 しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。
15:26 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。
イエス様の沈黙、弟子たちの制止、拒絶、子犬呼ばわり・・・皆さんが彼女ならどうしましたか?諦めますか?私達も祈っていてもイエス様が沈黙しておられるかのように思える時がある。いや、拒絶されていると思える時があるかもしれない。祈りを聞かないと言っておられるように思われる時があるかもしれない。しかし、そこであきらめては何も起こらない。
Ⅲ ねばり強い、答えを得るまで求め続ける祈り
15:27 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
15:28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。
どんなことを言われても引き下がらず主のあわれみを求め続けたカナンの女。彼女は求め続ける祈りの模範です。彼女はあきらめないで主に求め続けた。(諦めたら終わり。どんな困難があっても主に求め続けた。)切なる願い。(娘を思う愛の心)謙虚。(主にひれ伏し、子犬と呼ばれても・・・)失望落胆しない。疑わない。(主に癒しの力があることを信じていた。)ユーモアを解する心・・・主は彼女を「りっぱな信仰」とほめられ、その願い通りになるように言われ癒されました。100人隊長と同様彼女はその信仰を主からほめられたのです。
主はゲネサレの地からツロとシドンの地方に行かれ、またガリラヤの地に行かれました。何をしにツロに行かれたのでしょうか?実にツロへの旅はカナン人の女と娘の救いのためだったのです。主は彼女の苦しみを知っておられました。また彼女の立派な信仰をも知っていたのです。乗り越える力があると知っていたのです。だからこそチャレンジされたのです。
祈り:主よ。このカナン人の女のようにどんなことがあっても諦めない、継続して求め続ける祈りの人となれますように助けてください。アーメン。