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ダビデの失敗と神の赦し Ⅱサムエル11,12章  2015年1月15日(木)

輝かしいダビデの生涯における汚点、バテシェバ事件。ダビデは大きな罪を犯したが

へりくだって悔い改め神の赦しを得た。

 

Ⅰ 神の人ダビデの気の緩み 1~3節

 

なぜ神の人ダビデは失敗したのか?

  部下が前線で神のために戦っている時にダビデは夕方まで寝ていた。かつてのダビデは民の先頭に立って戦い、その行く先々で主が共におられ勝利を与えられた。いつの間にか心のすき、気の緩みが入り込んでいた。信仰の健全な緊張感を失っていた。そして体を洗っているウリヤの妻バテシェバを見てもろくも罪の誘惑に負けてしまった。いつも主を目の前に置かない時、あのダビデでさえも罪の誘惑に負けてしまったのである。

  

詩篇16:8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。

  しかし、主を前に置かない時はあのダビデでさえももろくも罪の誘惑に敗れてしまった。いつも主を前に置くことの大切さ!

 

祈り:イエス様が一緒に行ってくださらないところにわたしが行くことがありませんように守ってください。

 

Ⅱ ダビデの犯した罪 4,15節

  

  ダビデは見てはいけないものを見た!そして他人の妻であるバテシェバを王宮に召しいれた。神様の赤信号を無視してしまった。そこからまず姦淫の罪に発展。続いて殺人に発展した。姦淫の罪を覆い隠すために新たな罪を犯してしまうダビデ。罪が罪を生む構図である。罪に早く対処しないと罪はさらに罪を生む。

神をよく知り、神を恐れて生きていたあのダビデでさえこのような恐ろしい罪を犯して

しまった。絶対大丈夫といえる人などひとりもいない・人間の弱さ、罪深さ(ペテロの失敗も同じ:マルコ14:29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」)

 

祈り:マタイ6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』

 

Ⅲ 神の叱責とダビデの悔い改め 12:1~13

 

預言者ナタンによる叱責 神政国家イスラエルにおいて王も一般人も平等、罪は罪、異邦人の国家においては王は何でもできるかもしれない。しかし、イスラエルにおいてはまことのイスラエルの王は神、神の法にそむけば罪!

 

他者の罪にはよく気がつくダビデ「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。」

  人のことはよくわかる。しかし、自分のことが見えない!

 

12:7 ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。

12:13 ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。

 

ダビデの真実な悔い改め

詩篇51篇はバテシェバ事件でナタンに叱責された時に作った詩篇

17神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。そこに見られる真剣な悔い改めと神の赦しと恵みの体験!罪を犯さない人などひとりもいない。問題は神様に示された時に、へりくだって悔い改めるか、言い訳しつづけ自分を義としていくのか?神はへりくだる者を高く上げてくださる。決してお見捨てにならない。

 

祈り:神様、私に教えられやすいへり下さった柔らかな心を与えてください。アーメン

ダビデの失敗と神の赦し

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