神の国と神の義をまず第一に求めなさい マタイ6:25~34 2015/10/08

 

Ⅰ 誰を神として生きるのか(何を先ず第一とするのか?)       

  

6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

 

誰に仕えて生きるのか?あなたの心をいつも占めているのは何か?何をもっとも大切なものとして生きているのか?富か?創造主の神か?頼っている土台は本当に大丈夫か?富は必要。しかし、富は永遠の幸せを保証するものではない!第一に来るべきものではない!食べる物,飲む物,着る物はどうでもよいということではない.無計画や怠惰を勧めているのではない.しかし,こうした物質的な必要を満たすことがすべてであるかのように,それにとらわれて生きてはならない.イエス様は幾つかの事実を指摘し,思い煩いから解放される道を示す

 

Ⅱ 私達の必要を知っておられる天の父 26~30節

* 神様がどんなに慈愛に満ち、私たちを顧みていて下さるか。(例)空の鳥、野のユリ)

空の雀の1羽、私達の髪の毛1本にさえも心を砕かれる。私たちは神様に生かされている。人生は偶然ではない。一つ一つに意味がある。みんな意味がある。何かの役に立っている。

ここで述べられていることは

第1に,〈たいせつな〉(25)命や体を神が与えて下さっているのだから,食べ物や着物といった,より小さなものも神が備えて下さるはずである.

第2に,〈空の鳥〉(26)は種まき,刈り入れ,倉に貯蔵するといったことをしないが,〈天の父がこれを養って〉(26)いるし,〈野のゆり〉は〈働きもせず,紡ぎもし〉(28)ないが,やはり神が美しく装っている.たちまち枯れてしまう草でさえソロモンの栄華(Ⅱ歴9章)に勝る装いが与えられている.それならば,鳥や草よりはるかに重要なご自身の子たちの世話を神がしないはずがない.

第3に,思い煩うことは全く無駄なことである.私たちの命そのものが神の手の内にあり,私たちにはそれを延すことが出来ない.従って,

第4に,思い煩いは性格の問題ではなく,信仰の問題となる.神を知らない異邦人なら,思い煩うのも不思議ではない.しかし,弟子たちが思い煩うなら,それは〈天の父〉(32)を信頼していない証拠となる.

 

Ⅲ 第一に求めるべきものは神の国と神の義・神様の命令と約束 33,34節

 

命令と祝福の約束

6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

* これは天地が滅びても滅びることのない神の約束!永遠に続く偉大な神様の働きのために生きよう。その時,本当に心配しなければならないことは,別のところにあると気付かされる.〈神の国とその義〉(33),つまり神の支配の内にあること,神の御心にかなっていることこそ重要であることに気付く.そして神と正しい関係にあるなら,本当に必要なものは備えられていく。

 

6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

 

〈あすのための心配は無用〉(34)である.今日も〈労苦〉のあることを覚え,それも神の手の中にあることを覚え,「ただ,この一事に励」(ピリ3:13)むことが大切である。目の前の一つのことに集中 過去は過ぎ去り私たちの手にない。未来はまだ来ていない。「今」が私のなすべきこと。「神の国と神の義」を「まず第一に求めていく」。自分の都合もあるだろう。しかし主の都合を第一にしていくということ。神の国とその義。神に喜ばれることを第一として選び取ることである。

 

祈り:天のお父様。神の国と神の義を第一に求めるものとならせてください。アーメン

「神の国と神の義をまず第一に求めなさい