山羊と羊 マタイ25:31~46 2015/10/29

 

主イエス様は終末が必ず来ると教えている。マタイ25章では「花婿を迎える10人の娘」のたとえを通して目を覚まして待つべきことを教え、タラントのたとえでは委ねられたものを忠実に管理すべきことを教えている。「山羊と羊」の話では何を教えているのか?

 

Ⅰ 主イエス様は栄光を帯びて再臨され、栄光の位につかれる 31~33節

 

主イエス様は約束されたように必ず栄光の内に再臨される。そしてすべての人がその前に立

ち羊と山羊を分けられる。分離される集団が〈羊と山羊〉(32)にたとえられているが,話

全体はたとえではない.すべての人をさばく神の座にイエス様が着き,〈人の子〉(31)主

イエス様の隠れた栄光が明らかになる.羊と山羊は一緒に放牧されるが,夕方になると寒さ

に弱い山羊だけが暖かな場所に移される.同様にイエスの真の弟子とそうでない者が今は混

じっているが,終末には分離される.

 

Ⅱ 神に祝福された羊たち 34~40節

 

ご自分の右に分けた羊に主は「さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あな

たがたのために備えられた御国を継ぎなさい。」と言う。〈父に祝福された人たち〉(34)は,

イエス様が空腹な時食べる物を与え,渇いていた時飲む物を与え,泊る所や衣類を提供し,

牢にまで訪ねたと言われるが,自分の記憶にはない.しかし〈これらのわたしの兄弟たち,

しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは〉(40)イエス様ご自身にしたことである.

 

善行の対象は必要のある人々一般ととる者もいるが,〈兄弟たち〉とあるから弟子仲間とす

るほうがよい(もちろん,善行を仲間内に限定するように勧めているのではない).善行が

神の国に入る条件だということではなく(救いの宣言が先にある),神がすでに彼らの内に

働いていること,彼らが神の国に入るにふさわしい者であることが,善行からわかるという

こと.善行は救いの根拠ではなく救いの証拠である.

 

Ⅲ 神に呪われた山羊たち 41~46節

 

25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたし

から離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。

 

のろわれた山羊たちはイエス様が空腹な時食べる物を与えず,渇いていた時飲む物を与えず、

泊る所や衣類を提供しなかった,牢にも訪ねなかった。彼らはイエス様に対してそれらを怠

ったとは思っていない.しかし,〈最も小さい者たち〉を顧みているかどうかが,本当にイ

エス様の弟子であるかどうかのテストとなる.

25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいる

のです。」

 

〈永遠の刑罰〉(46)の教えは今日歓迎されないが,イエス様は紛れもない形で語っている.

 

祈り:愛する主イエス様。兄弟姉妹に対してすることはあなたに対してしているのだと教え

られました。もっとも小さいと思われる者のうちにおられるあなたにお仕えするものとなら

せてください。アーメン

「山羊と羊