主の御手を見て生きる Ⅰサムエル25章 2014年12月25日

 

ダビデが荒野の逃亡生活をしている間,愚かで頑固なナバルに辱められる。ダビデは怒りのあまり彼とその一家を皆殺しにしようとしたが,美しく聡明なナバルの妻アビガイルのとりなしにより復讐心を鎮められ,主に罪を犯さずに済んだ。その後,神ご自身によって打たれ,突然死んだナバルのことを聞かされたダビデは,主のみわざに感銘を受け,アビガイルに結婚を申し込み,受け入れられる。それがⅠサムエル25章のあらすじである。

 

Ⅰ アビガイルの知恵と行動力 

 夫ナバルがダビデを侮辱し自分と家族に災いが襲いかかろうとするとき彼女は賢く迅速に行動した。それが彼女と家族を救った。彼女は夫の愚かな行動と予測される災いと助言を聞いてすぐに問題解決に着手する。手をこまねいて災いが降りかかるのを待つのではなく、今何をしなければならないかを考え、即座に問題解決のために行動した。

またアビガイルはダビデに謙遜に謝罪する。彼の前にひれ伏して夫の非礼をわび、彼のような愚者を相手にするなと言う。彼女は主に対する信仰によって、理を尽くし主の名をもって説得する。それはダビデ自身の益となると。彼女は「~ねばならない。~すべきだ」と単なる主の戒め、律法ではなく、主の導き、主の守り、主の祝福を説いた。その結果、怒りに燃えていたダビデをなだめ自分と家族の命を救うこととなった。

 

Ⅱ 復讐は主のもの 自分の手で復讐しない。

サムエルも死に、ダビデは助言や彼の祈りを期待できなくなった。しかもサウル王から逃げている中で600人の生活を見なければならないダビデの負担は大きかった。そこで豊かであったナバルの羊の刈込を聞いて警護していたナバルから報酬を得ようと謙遜に願い出た。それに対してナバルは暴言と侮辱でダビデの使者に返した。屈辱を受けたダビデは怒りナバルの一族を皆殺しにしようと兵士を率いて出発する。しかし、賢いアビガイルの説得によりダビデは自分で復讐することを止めた。そのことによりダビデは自分の経歴に汚点を残さなかった。

ローマ12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

人の感情を逆なでにしたり、人の善意をあだで返してはならない。また人からの好意を忘れてはならない。

 

Ⅲ 日常生活の中で主の御手を見ていく 

愚か者により侮辱され、腹を立て復讐しようとし、その様な中で何とか災難を免れようと一生懸命行動したり、夫が死に再婚したり・・・。そんなことがなぜ聖書に記録されているのか?自分の思い通りにいかなかったり、侮辱されたり、腹を立てたり、自分で復讐したくなるような状況の中で主を見ていく。それは私たちの日常生活。その中で主の御手を見ていくということが大切である。信仰生活は決して劇的なことだけではなく、静かな日常の中にも主の御手を見ていくことが大事である。

 

祈り:神様、私の何気ないように見える日常生活の中にもあなたの御手を見て生きる者とさせてください。アーメン

 

「主の御手を見て生きる」