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主の御名によって戦う 1サムエル17:41~54 2014年12月18日
神の民が敵の戦士ゴリアテに恐れおののいていた時に少年ダビデは立ち上がり、信仰の力でゴリアテを打倒した。
Ⅰ 神様の栄光のために
ダビデの大巨人ゴリアテとの戦いの動機は自分の利益ではなく、神様の栄光のためでした。「この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」17:26彼は神の御名がそしられていることに聖なる憤りを覚えたのです。それが彼の行動の動機でした。
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」1コリント10:31 私たちの主は全世界の主です。主は私たちの生活の全領域のであり主です。
Ⅱ 戦うべき敵ゴリアテ
神の民イスラエルは意気消沈し、非常に恐れました。ペリシテの戦士ゴリアテは身の丈約3メートル、よろいの重さは50キロ、槍の穂先でさえ6キロもあったのです。しかも、ベテランの戦士でした。誰も彼に立ち向かうことができず彼を恐れたのです。
私たちクリスチャンも戦わなければならない強い敵がいます。
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世 それは神を否定し、敵対するこの世です。キリストのことば「あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったからです。」
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悪魔 私たち戦わなければならない真の敵は人ではなく悪魔とその手下です。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」エペソ6:12戦う相手を間違ってはいけません。
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自分自身 「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。」箴言16:32 自分自身に打ち勝つことです。
私たちはこのようなゴリアテにたいして戦い、勝利しなければならなりません。敵をはっきり知ることです。
Ⅲ 主の御名による勝利
ダビデはイスラエルの代表戦士として戦います。サウル王は自分のよろいかぶとを貸したが、ダビデはそれには頼らず河原の石をとって石投げで戦い一発で倒し、相手の剣でとどめをさしました。
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信仰の日常性 彼は羊飼いとして働く中で、獅子や熊に打ち勝った経験がありました。34~36 だから、ゴリアテに対しても勝利する確信をもったのです。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます」37節 獅子や熊に対する勝利の体験なくしてゴリアテへの勝利はありません。
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自分の信仰で 借り物の信仰では役に立ちません。38、39節
サウル王のよろいかぶとがりっぱなものでも自分の使い慣れたものでなければ、
それを自分自身のものとしているのでなければ実際の役にはたたちません。信仰も同じです。
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万軍の主の御名による勝利 ゴリアテの武器は剣、槍、投げやり。ダビデは主の御名によって戦った。それは主の戦い。彼は神様を見ていた。「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」詩16:8
ダビデも主を前に置かない時は恐れ、失敗してしまいます。バテシェバ事件のように罪の誘惑に
負けてしまいます。ゴリアテがどんなに強い敵でも、神を計算にいれるならなんでもありません。
あなたの戦うべきゴリアテは何ですか?たとえ何であったとしても、主の力はさらに偉大です。
アーメン
私たちはすでに神の子です。ヨハネ1:12「権威」が与えられています。神の国の王子、王女としての権威です。すごい力が与えられているのです。ハレルヤ!
祈り:父なる神様、ダビデのようにあなたの栄光を求める者となれますように。
あなたの力によってゴリアテに勝利させてください。
アーメン