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神様に喜ばれる礼拝 ローマ12章1,2  2014年9月4日

 

* ローマ人への手紙はパウロの神学論文ともいわれます。そこには神様について、救いについての大切な教理が書かれています。そしてパウロのどの手紙にもあることですが健全な教理に立って正しい生活が教えられています。

 

Ⅰ 先行的な神様の恵み  1節a

12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。

 

このパウロの勧めは1~11章までに示された神様の恵み(信仰による救い、義認、永遠の命・・・)への感謝の応答です、義務ではありません。それは,神様のあわれみにあずかるためのものではありません。リビングバイブルでは「神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです。」と訳します。

 

3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、

3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

 

Ⅱ 神様への献身―礼拝 1節

12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

 

パウロは,旧約の動物犠牲に思いをはせながら〈あなたがたのからだを,神に受け入れられる,聖い,生きた供え物としてささげなさい〉と勧めます。旧約の儀式律法に定められた動物犠牲は,傷ついたものは許されませんでした(レビ22:17‐25).クリスチャンは,キリストにあって罪赦されて,聖別され,神に受け入れられる供え物として,自分の体をささげなければならないというのです。体をささげることは,体も心も共に,全人的に自分をささげることです。〈それこそ,あなたがたの霊的な礼拝です〉と言うのです。

 

Ⅲ 変えられた生活 2節

12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 

教会でイエスを主というのは難しいことではありません。口でイエスを主というのも難しくないかもしれません。しかし、生活の中でイエスを主と告白するのは別の話です。人や環境のせいにしないで〈心の一新〉によって時分を変えていく、神の御心を知り,御心に従って生きることが求められています。主に対する信仰は私達の生活に反映するものです。(Ⅰコリント10:31)

祈り:神様、あなたが私のためにしてくださったことにふさわしくあなたに応えさせてください。私の体をあなたにささげます。生活の中でもあなたを主と致します。アーメン

「神様に喜ばれる礼拝」

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