力ある信仰の祈り マルコ11:20~25 2014年6月4日

 

神様に聞かれる祈りに必要なのは「信仰」と「人の過失を赦す愛の精神」が必要です。

 

Ⅰ 祈りには信仰が必要

 

11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。」

イエス様が祈りについてまず弟子達に求められたことは信仰です。信仰は神に栄光を帰することです。不信仰の祈りは神様を侮辱するものです。へブル11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

 

11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

山に向かって動いて,海にはいれ」とは,10:25のらくだと針の穴の比喩と同じく誇張表現です.人間的に不可能なことでも,「疑わず」「言ったとおりになる」(23)と信じることです。

 

11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

祈りには「すでに受けた」(24)と神様を見詰める確かな信仰が要求されています。祈りは長さでも形式でもありません。大切なのは信仰です。どうすればそのような信仰を持つことができるでしょうか。そのためには主を深く知ることです。そうすれば信仰が生まれます。そのためには主との深い交わりが必要です。主の愛、力・・・を知ることです。
 

Ⅲ 祈りと赦し

 

11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」

ここには,祈りが「そのとおりになる」ための,もう1つの条件が記されています。自分の利害にこだわる狭い心に,神様のあわれみを宿すことは出来なません。他者を赦す寛容な心構えが,罪の赦しと恵みを受ける鍵です。人を許さない心は祈りを妨げます。赦しの無い所に祈りは聞かれません。なぜならその人が神様の御心を行なわず、痛めているからです。赦しは神の御心であり神の命令です。Ⅰヨハネ3:21~23 許すとは復讐する権利を主にゆだねる、渡してしまうことです。そして許さなければならない自分がまず許されなければならない存在であることを知ることです。(聖い神様の目から見た自分)主が私を完全に赦して下さったことを忘れないことです。

 

祈り:「神様、あなたに祈る時、御言葉のお約束とあなたの愛を信じ、信仰の祈りをささげるものとさせてください。そしてあなたに栄光をお返しできますように。またイエス様の十字架によって私が赦されたものであることを私が忘れることがありませんように。」

 

「力ある信仰の祈り」