ゲッセマネの祈り マルコ14:32~42 2014年4月17日

 

主イエス様は十字架にかかられる前夜、ゲッセマネの園において苦しみもだえて祈られました。有名なゲッセマネの祈りです。

 

14:35 それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、

14:36 またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」

 主は父なる神様に正直な自分の気持ちを祈りました。「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。」罪なき神の子が全人類の罪を背負され、父から捨てられるということはイエス様にとっても避けたい、苦しいことだったのです。しかし、イエス様は「。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」と祈られました。

 

主イエス様の祈りの姿勢 

①正しい神認識:誰に祈るかをはっきりする。アバ、父よ。

②正直な自分の願い 「この杯をわたしから取りのけてください。」

 遠慮はいらない。自分の本心を祈れ。きれいごとでなくて。

③みこころを第一とする。神に明け渡す。

「しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」

* 主の祈りにもあるようにみこころがなるようにというのはキリスト教の祈りの本質です。ご利益主義や神を自分の欲の実現のために利用するのではありません。

 

神の御心が最善です。 神の道、神の思いは私たちの思い、道より高いのです。人の目に災い、呪いに見えるものが主にあって祝福に変えられるのです。ご自分の御子の命さえ惜しまずに与えてくださった神様が私たちに備えてくださるのは永遠の視点からの私たちの幸せなのです。飲むに忍びない杯を与えられたとき、私たちなら「いやです。とんでもない。そんな信仰やめにします」と、逃げ出したくなるものではないでしょうか。私たちは、自分の欲しくない杯を与えられたときに自分の本質がよくわかります。イエス様は、苦しみを克服して父なる神様に従われました。自分の思い通りに生きるなら何の戦いも葛藤もないでしょう。しかい、神様の御心がなりますようにという祈りは勇気のいる生き方です。それこそイエス様に従う者の祈りです。

 

祈り:愛する主イエス様、私のために苦き盃を飲んでくださったことを感謝します。十字架によって罪赦され神の子とされた私も自分の思いではなくみこころがなりますようにと祈ります。どうか目を覚まして祈る者とならせてください。アーメン

「ゲッセマネの祈り」