Ⅱコリント12:9、10 2014年1月23日

 

12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 

恵みこそはキリスト教の真髄といっていいでしょう。(CSルイス)  恵みがなければキリスト教ではありません。恵みを知るということは恵みを体験することです。

 

 

Ⅰ 主イエス様の恵み は十分 9節

神様の恵み、それは値しない者に与えられる神様の愛です。神様の恵みから漏れる人はひとりもいないのです。肉体のとげにもかかわらずパウロにとって神の恵みは十分でした。同様に誰にとっても神の恵みは十分なのです。ただ大切な霊的な原則があります。それは神様は高ぶる者に敵対しへりくだる者に恵みを与えられるということです。自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされるのです。

 

 

Ⅱ 弱さのうちに完全に現わされる神の力 9,10節

神の力は人の弱さのうちに完全に現されます。人の弱さは神の働きの妨げとならなりません。私たちはあれこれの理由をつけて不平を言い、出来ない言い訳をしやすいものです。しかし、それらの弱さは神様にとって何の問題にもならないのです。

パウロの肉体のとげ、そのことについて詳しくは書かれていません。しかし、この苦しみさえなければもっと神のために働けるのにと思ったことでしょう。聖霊に満たされた使徒、第三の天にまで上ることを許されたパウロの切なる祈りでした。しかし、パウロの願うようには叶えられなかったのです。それはキリストの無限の力が彼を覆うためであったのです。どのような状況のどのような人に対しても主の恵みはいつも十分です。人の弱さによって神の力が制限されることはありません。かえって神の栄光が現わされるのです!自分の弱さだけに目を留めるのではなく、十分なる主の恵みに目を留めて生きる者とされよう。主に拠り頼む。主を求め、主に祈る!

 

 

Ⅲ キリストの力が私をおおうために 9.10節

自分が弱ければ弱いほど神様に頼ります。そこに神様の力が働くのです。結果として弱い時にこそ強いといえるようになるのです。全能者である神様を信じ、この方と直結して生きていくとき(信仰の世界では)もはや私たちが弱いとか強いとか言うことは問題にならなくなってくるのです。私達の神様がどんな方かということこそが問題なのです。背伸びをしないで、自分の弱さを正直に主に告白しましょう。そして主に働いていただくのです。

 

ピリピ4:13私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

「わが恵み汝に足れり」