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互いに足を洗う ヨハネ13:1~17 2015年4月2日(木)
Ⅰ 洗足に示された主イエス様の謙遜の模範 4,5節
イエス様は弟子たちの足を洗うことを通して,自らしもべの姿をとられます。
13:4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
13:5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。
当時の習慣では客の足を洗うのは奴隷の仕事でした。イエス様は自らへりくだって弟子たちの足を洗われました。ペテロの驚きと拒絶は無理からぬことです。しかし、イエス様に足を洗っていただいたというイエス様との個人的関係こそが信仰の原点です。イエス様は何のために来られた?イエス様は仕えられるためではなく仕えるために来られました。先ず主に仕えていただく、そうして後、初めて神と人に仕える事ができるのです。この順序は非常に大切です。
13:7 イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
13:8 ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
イエス様の行動に困惑したペテロとイエスとの会話を通して,イエス様のとった行動には,十字架と復活の後でしか悟り得ない深い意味があることが示されます。しかも,それを拒めばイエス様との関係を失ってしまうほどの救済的な意味を持つ行動です。
ピリピ
2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
Ⅱ 主イエス様に従う弟子の歩み 14,15,17節
13:14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
13:17 あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです。
ここでは別な側面から洗足の行動の意味が説かれます。ここではイエス様の救済的な行為の象徴としてではなく,弟子たちの行動の模範としての意味が教えられるのです。主イエス様は愛をもって仕えあう共同体としての教会を建てようとされました。この世の「人の上に立って支配しようとする」原理とは正反対です。
ピリピ
2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
2:4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
2:5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
イエス様だったらどうされるか。WWJD それが信者の行動の基準です。主に従う。主に倣うと言うことは漠然としたことではなく、御言葉に従うこと。それが主に従うこと、みこころに従うこと。そのためには御言葉をよく読む、調べること、そして御言葉によって思いを、行動を、人格を変えて頂く事。イエス様を信じることにより救われる。しかし、それで終わりではありません。それは主に従う生活の始まりです。主への愛による従順、それは苦になりません。
祈り:主イエス様、仕えることよりも仕えられること求める高慢な私を赦してください。イエス様の心を私の心として、愛し、仕え、与える者とならせてください。アーメン