「あなたの隣人を愛しなさい」 

                                             レビ記19:9:~18 2017年2月23日

 

最大の戒めは何かとパリサイ人から問われ、イエス様は「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」と答えられ、またレビ記19章18節を引用されました。マタイ22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

 

Ⅰ 愛するべき隣人とはだれか 

 

レビ19:18 復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」わたしは主である。

 

神様への愛と隣人愛は切り離すことが出来ません。律法全体と預言者(聖書)とが、この二つの戒めにかかっているのです。」神様への愛と隣人愛はセットです。一つだけでは片手落ちです。 愛さなくてよい人。私が愛すべき隣人でない人がいるのでしょうか?パリサイ人は隣人の定義を問題とします。それに対しイエス様は誰が隣人になったかと問いかけました。愛する〈隣人〉とは単に身近な人や同胞のイスラエル人でなく,他のすべての人を意味します。愛しやすい人だけではありません。

 

 

Ⅱ 隣人をどのように愛するのか 9~18節

 

 

レビ記18章には,「愛すること」の内容が具体的に示されています。貧しい者と在留異国人のために畑の隅々まで刈ってはならないとか、収穫の落ち穂を集めてはならない、またぶどう畑の実を取り尽くしてはならないといった定めは社会的弱者に対する配慮の規定です。また盗みや欺き、偽りの禁止、日雇い人の賃金はその日に払うべきこと、耳の聞こえない者を侮ってはならない、目の見えない者の前につまずく物を置いてはならないといった規定は愛の具体的な表れです。求められている隣人愛のレベルは自分自身を愛するようにです。悪口、陰口のようなものは相手の立場に自分の身を置けば決して言えないはずです。隣人は神の作品です。使徒パウロの言葉を借りるととキリストが代わりに死んでくださったほどの人・なのです。

 

3500年も前にこのように弱者に対する配慮が律法として命じられていることは驚異的なことです。日本ではまだ縄文時代も終わっていない(~BC300)時代です。古代文明の発達した中国でも殷(商)の時代です。これは人間的に考えられて生まれたものではなく。神様からの言葉なのです。ハレルヤ!

 

 

Ⅲ 隣人愛の表現と実践 具体的にどうする?どうすればそうできる?

 

 

Ⅰヨハネ3:18子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。

黄金律 

マタイ7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

* この戒めはあなたは神様の前に愛がないと私たちを裁くものではありません。神様にあってできるということ。神様がその力をくださるということです。神様は私たちの失敗、罪、咎を完全に赦し、雪のように白くし、二度と思い出すことをしないとおっしゃって下さいました。そればかりか神の言葉に従って生きることができる力を与えてくださるのです。自分で頑張らなくてよいのです。疲れていたら(律法の縛りにより)イエス様のもとに来て休みましょう。そして主イエス様に生きていただきましょう。

 

* 私たちは内住のイエス様の力によって、初めてイエス様のように生きることができます!自分の力ではできません。この愛の命令を律法として読まないように!それは自分や人を裁く律法ではなく、主にあってできることして受け止めましょう。新しい神の命を頂き、生まれ変わることによってはじめてできる。キリストにあって可能なのです。

 

Ⅱコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


祈り:神様、私にはアガペーの愛がありません。どうか神様の愛に満たしてくださり、この世界に神様の愛を表すものとさせてください。イエス様の聖名により祈ります。アーメン

あなたの隣人を愛しなさい