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良いものをくださる天の父  ルカ11:5~13  2014年6月26日

 

1 祈りの命令 5~10節

 

これは願い続けた友人のたとえです。真夜中に君、パンを3つ貸してくれと頼むのは非常識ですが、あえてそれをなさしめる友人同士の信頼関係がこのたとえの土台です。6‐8節のやりとりは,友人関係を絵に描いた餅に終らせない大胆な願いの勝利です。神とクリスチャンの関係は友人関係以上の父子関係で、その信頼関係を土台として,大胆に執拗に神に祈れ,祈りは聞かれるのだと教えるたとえです。祈り続けなさい、探し続けなさい、たたき続けなさいとの継続の命令となっています。

クリスチャンは祈りもしない、何もしないのではありません。神様の子供として大胆にまた具体的に祈り求めることを天の父は求めておられます。それは主が喜ばれる信仰の表現です。大胆にまた具体的に祈り求めることです。

 

Ⅱ 慈愛に満ちた天の父 11~13節

 

これは子供に物を与える父のたとえです。これも父子の信頼関係を土台にしたたとえで父なる神を信頼して祈れ,神は良い物をもって祈りに応えるとの教えです。祈りは父なる神との親子関係の語らいです。神様は良いもの、最高のもの、私達に真に必要なものをくださるのです。それは聖霊ご自身です。弟子たちに必要だったのはまさに聖霊様でした。聖霊によって地の果てまで証人となって使命を果たしました。クリスチャンは使命のために選ばれました。決して自分の快楽実現のためではありません。(Ⅰペテロ2:9,10) 

祈りは神様を説得することではありません。神様はいやいや祈りを聞かれるのではなく、恵もうとして待っておられるのです。祈る前から私達の必要を知っておられるのです。しかし大切なのは求めの熱心さではなく,求めに応える天の父の愛です。罪深い人間の父親でも,パンや魚を求める子供に似て非なる物を与え期待を裏切ることはしません。とすれば,なおのこと天の父が祈り求める者に良いものを与えないはずはありません。

 

Ⅲ 祈りは答えられる 10節

 

主は祈りに答えてくださいます。祈りが応えられるのは神様の御性質にかかっています。答えられないのは神様の側の問題ではなく、私たちの側の問題です。(求めない、悪い動機、心に抱く不義、・・・)求めなければ得られません。(ヤコブ4:2)また求めても悪い動機であればかなえられません。(ヤコブ4:3)罪の中にありながら神様が祈りに応えてくださると期待することはできません。(イザヤ59:1,2)

十字架は唯一の罪の解決です。御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。示される罪を告白し、捨て、神様の赦しを信じ、天の父である神様に求め続け,捜し続け,たたき続けましょう。


Ⅰヨハネ1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

 

祈り:天の父なる神様、あなたは慈愛に満ちた天のお父様です。あなたを信じ、大胆に求め続けるものとさせてください。アーメン

 

「良いものをくださる天の父」

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